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米沢有為会で購入・平成4年オープン

  我妻栄記念館は、我妻先生の生家で、築年は定かでないが明治中ごろと思われる。

 米沢におけるごく標準的な二階建てで、床面積25.5坪、急な階段を 登った二階の六畳間が先生の勉強部屋であった。母屋の南東部に接続して二階仕切りの12坪の土蔵があり、資料室としている。
 大正6年の大火の時に、父我妻又次郎先生が奉職する米沢中学校の生徒達が駆けつけ懸命な防火活動によって運よく類焼を免れたことはエピソードとして語り継がれている。
 この建物は大正7年、我妻家から大友家が買い受け、昭和の末期までの70年間を経た時点で、市内の建設会社の手に移り、老朽建造物でもあるところから解体の命運にあった。
 そうした情報が洩れ伝わると、市内の一部有志の間に、我妻先生の偉業顕彰の意味からも、その生家を保存継承したいという強い願いが湧きあがった。
 平成元年、米沢市制施行と社団法人米沢有為会創立が共に百年という節目に当たり、米沢有為会の東京本部では、1千万円を募金して奨学基金の充実と東京興譲館の営修繕を主とした記念事業を計画していた。その期に、有為会米沢支部から我妻先生の生家を取得保存する事業も、本部計画の事業に組み入れてほしいという要望が提案された。
 これを受けて本部では、取得にかかわる募金活動一切を米沢支部中心に進めることを条件に、この提案を承認した。
 高橋幸翁米沢支部長(市長)はじめ支部役員は、これを了とし、各方面の代表者を召集、協議を重ね、川野希氏(米沢副支部長)を実行委員長として事業は展開された。
 この事業の募金目標額は4千万円で、内訳は土地160坪並びに建物の取得費3千万円、建物の修繕費等1千万円である。
 この頃、世の景気も冷え込み期に入っていて難儀なことではあったが、文化勲章に輝き、名誉市民でもあられる我妻先生へ寄せる各方面からの思いは厚く、平成3年の前半までの約2年間で、目標額達成の見通しがついた。結果的には法人69件で約2千万円、個人286件で約6百万円の募金があり、残り1千2百万円は米沢市からの補助金である。
 このような経過を経て取得に漕ぎ着けることができたのである。その後一応の補修も完了して、平成4年6月19日の日曜日、雨降るなか米沢有為会定例総会の佳日に「我妻栄記念館」としてオープンしたのである。

(「我妻栄記念館だより」創刊号より)